1950年(昭和25年)に沖縄本島の北部を中心とした移民の方々によって開拓された石垣島北東の土地。背景にそびえる山々に囲まれ海から運ばれる潮風を浴びながら育つ、良質な農産物が収穫されています。星野の名は地上の住所には存在せず、この土地の通称。地元では実際の住所の「桃里」よりも「星野」という名で愛されています。
星野の名前の由来は、開拓当時移民の受け入れでお世話になった「星さん/吉野さん」の両者から文字をいただいて根付いたと言われています。
また星野では、1771年(明和8年)におこった明和の大津波にまつわる人魚伝説が語り継がれています。
曽我 潮丸